箱根旧街道石畳を訪れる


『箱根旧街道』の杉並木を歩いた後は、引き続き『箱根旧街道石畳』を歩いてみることにしました。
この道は、『畑宿』、『湯本』を経て『小田原』に至る道だそうです。




江戸時代から残る石畳の道だと思うと、自分としてはもう驚愕です。
いよいよ第一歩を踏み出します。




この石畳の上を遥か昔、人々は往来していたのですね。




感想としては、とても急勾配で石が苔むしている部分があり滑るということ。
泥道よりもずっと歩きやすいですが、慎重にあるかないと危ないです。
昔の旅人はこの道を歩いて箱根を越えたのですから、きっと大変だったと思います。




ここは『權現坂(ごんげんざか)』です。
看板によると、『小田原から箱根路をのぼる旅人が、いくつかの急所難所をあえいでたどりつき、一息つくのがこの場所である。』ということです。
確かに大変な道ですから、休憩ポイントでもないとやってられないでしょうねー。




ここは『箱根関所資料館』で勉強をした『お玉』にまつわる場所のようです。

どのような話しかといいますと、元禄15年(1702年)、伊豆国大瀬村(静岡)生まれのお玉という女の子は、江戸に住むおじさんの家で奉公していたが、しばらくして、伊豆の実家が恋しくなってしまい、ついに帰ろうと決心し、おじさんの家を抜け出し、箱根の関所の近くまで来たが、奉公先を飛び出してきたため、通行手形をもっていなかったのであります。
そこで、仕方がないのでお玉は厳重な関所の警備を避けて脇の山を越えて抜けようとしましたが、当時、箱根の関所は芦ノ湖から山の上までずっと柵が巡らせてあり、その柵を乗り越えようとして、身体がからまってしまったところを村人に見つかってしまい、関所破りの罪で捕まってしまったとのことです。
捕まったお玉は、箱根関所の獄屋に入れられ、裁判を経て処刑されました(厳しい!)。
2月に捕まり、4月に処刑されるまで、約2カ月の間、ずっと獄屋に入れられていたようです。
当時の決まりでは、関所破りは刑罰の中で親殺しなどと共にもっとも重い罪だったため、お玉も死罪を逃れることは出来なかったようです。
本来関所破りは磔(はりつけ)という刑が定められていたが、お玉の場合、同じ死罪ながらひとつ刑が軽くなり、獄門(さらし首)とされたようです。この辺りは事情を考慮したということでしょうか。
箱根八里は坂の名前が色々あり、お玉が捕まったとされる付近には「於玉坂」という坂の名前がつきました。
付近にある「なずなが池」は、「お玉が追手を逃れてこの池に身を投げた」とか、処刑された「お玉の首を洗った」などという言い伝えが生まれ、いつしかその名も「お玉が池」と呼ばれるようになったようです。




これがお玉の観音像です。
お玉だけではなく、この辺りで色々な理由で亡くなった無縁仏も一緒に供養されているとのことでした。




ここは『二子山』の登り口。いまは入山禁止のようです。
高山植物も咲くようです。山頂からの景色はどうなのだろうか。
そうそう、『新世紀ヱヴァンゲリヲン』の『ヤシマ作戦』では、この山に要塞が築かれる設定でしたね(笑)。




さあ、もう14時をかなり過ぎ、そろそろ石畳を去ろうかというところ。




『箱根旧街道石畳』。
実際に訪れて歩いたことで、古(いにしえ)の何かを感じることができました。
やっぱり現地に赴くことは、何らかの意義があると思った次第です。はい。



撮影機材:Nikon COOLPIX P330

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